pendent
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 額の端に、小さな紅い痕。
前髪から覗くその部分に気付いて、流維はたくみを呼びとめた。
「これどしたの?」
「え?」
「引っかき傷みたいになってるけど」
「…さぁ。よくわかんない」
「また犬に噛まれたとか?」
 首を振ったたくみに、流維はそんな失礼な言葉を返してくる。
曖昧に笑ってみせると、いつもの爽やかそうな笑顔を見せて、
流維はあーバカだなぁとか、気をつけろよとか言ってきた。
「…何、それともそんな微妙な反応ってことは、実はキスマークとかだったりする?」
「何でそれが引っかき傷なんだよ!」
「あはは、冗談だって。まぁとにかく、ホントに気ぃつけなよ?」
「分かってるよ」
「じゃ、俺もう帰るから。また明日ねー」
 そう言って流維は部屋から出て行く。
軽く手を振ってそれを見送り、たくみは小さく息を吐いた。
流維に指摘された額の傷跡に、そっと指先で触れる。
別に痛くも何とも無いけれど、やっぱり引っかき傷独特の感触があった。
「…あの馬鹿ッ」
 思わずそんな言葉が口から洩れる、その脳裏に浮かぶのは、
自分よもり20センチ近く背の高い、ぼーっとしたメンバーの顔。
 …正直なところ、流維の言葉は大当たりだった。
しかも、「それとも」の方が。
正確に言うとキスマークというのとはちょっと違うのだけれど。

 ――三日前。艶に抱き締められて、告白された。
まあ、普段から何を考えているのか分からない艶のことだし、
たぶん酔った勢いと雰囲気に惑わされての悪戯みたいなものだったんだろう。
それでもたくみにとっては、色々な意味でショックな出来事だったのだ。
自分も少なからず酔っていたにも関わらず、
今でもあの時の会話のほとんどを思い出せるくらい。
「ねぇーたっくんさぁ…」
「おまえ…呂律回ってないぞ…」
 何となくたくみの家に押しかけるような感じで艶が遊びに来て、
バンドの話やどうでも良い話をしながら飲んでいるうちに、
艶が新たに手にした缶ビールの本数すらもう分からないくらいになっていて。
「うー…ねぇ…なんかね。て言うか俺の事好きでしょ」
「はぁー!?何言ってんだか!」
 のんびりとマイペースに喋る艶に、即座に云い返す。
手近にあった空き缶を投げつけて、たくみはけらけらと笑った。
「ちょっと艶ちゃん、自惚れも度が過ぎると可愛くないよ」
「だってそうじゃなきゃさ、長年勤めた事務所辞めてまで俺らに着いてくるー?」
「…今、自分たちのこと卑下したのに気付いてないだろ」
「でもマジでそう思わない? あそこにはしんちゃんもいるし」
「しんちゃんは関係無い!」
 寄っている割に、艶は痛いところを突いてくる。
ようやく思い出さなくなったばかりのひとの名を出されて、たくみはつい口調がきつくなるのを感じた。
 前のバンドのことを出されることよりも、そのひと個人の名を出される方が余程気まずいのだ。
脱退に関しては、メンバー同士、お互いに納得いくところまで漕ぎ着けたけれど、
彼との個人的な関係は、どこかぎくしゃくしたままで残してきてしまったから。
 だからと言って、もう今更彼との関係を修復しようとも、彼に縋る気も無いけれど――。
「…ほんとに、しんちゃんが居たからマリブやってたわけでも、
あの事務所にいたわけでもないから。
それと同じで、ALPHAに入ったのだって、艶ちゃんが居たからじゃない」
 たくみの剣幕に呆気に取られたのか、少しだけ強張った艶の表情に気付いて、
静かな声でたくみはそう補った。
それでも、取り繕うようにしか響かなかったその言葉では、艶の硬い表情は解れない。
「…ごめん、多分言っちゃいけないこと言った」
「いや…そんなに気にすることないけど」
 珍しく、こっちの胸まで痛むほどに沈痛な声音で謝ってくる。
思わず感じた怒りもやるせなさも忘れて答えたたくみの眼を、艶は真っ直ぐに見つめてきた。
「怒った?」
「…ちょっとむかついた」
「だよね。悪気はなかったんだけどさ」
「分かってる」
「ごめんねー…ほんとごめんね…」
「いや、だから――って!おい!」
 何だか艶の眼を見返すことができず、視線を逸らしながら答えていたたくみだったけれど、
不意に体に感じた圧力に声を荒げる。
 ――口ではあくまで殊勝気な口調で謝っておきながら、艶は何気なくたくみの体を抱き締めていて。
振りほどこうと軽く抵抗してはみるものの、身長・体重・腕力ともにかなりの差のあるたくみだから、
押しのけられるはずが無い。
「何考えてんだオマエ!」
「たっくん、おとなしくしててよー」
「阿呆か!」
 全力で押しのけようとするのだけれど、艶の方も全力で抱き締めているのだろうか。
長い腕はたくみを離す気配なんか、欠片も見せない。
何とか逃れようともがいたその瞬間、鋭い痛みが額に走った。
反射的に手を上げて、艶の頭を押しのける。
「おまえ…、ピアスつけたまま迫るんじゃねぇ!」
「ったー…」
 たくみが押しのけた拍子に捻ったのか、艶は首を摩りながら相変わらずのんびりと言った。
「痛いのはこっちだよ!ったく…」
「たっくんが暴れるからだよー。おとなしくしててって言ったじゃん」
「て言うか、迫るな」
「酷いなぁ。たっくん好きだから、ついキスしたくなっただけなのに」
「迷惑ッ!!」
 飄々と笑う艶に、腹式呼吸で怒鳴り返す。
 大体、「キスしたくなっただけ」なんて云っているけれど、
実際にたくみの額に触れたのは艶のピアスなんであって、
口唇でもなんでも無い。
それなのに妙に嬉しそうににやける艶を見遣って、
たくみはもういちど、深い長い溜息を吐いた。
どっと疲れた体を起こし、片手で目を覆って後ろの壁に寄りかかる。
「…手に負えないバカだよ、おまえ」
「そうかなあ。ま、とりあえずはそれがキスマーク代わりって感じ?
次はホントにつけるから、その時は観念して俺のものになりなさいね」
「おまえ…絶対酔ってる!寝ろ!」
 そう言い残して、たくみは立ちあがった。
「たっくん、どこ行くの?」
「風呂入ってくるんだよ」
「行ってらっしゃーい。気をつけてね」
「…何に?」
 冷静に問い返したたくみに、艶はただ笑顔で手を振っている。
酔っているのかどうなのか分からない仕草に、たくみは何か言う気力も無くして背を向けた。
バスルームに続くドアをくぐり、――溜息が零れる。
 あんな艶を心の底からバカだと思うし、悪酔いにも限度があるだろうとは、思う。
でも、あれだけ悪態を吐いた心の奥には、
本気で厭だとか、本気で怒ろうという気持ちは余り無いような感じもした。
「…何なんだよ」
 ひとりバスルームのドアに寄りかかり、小さな声で呟く。
指先で額に触れる。
艶の顔を思い出す。
艶の匂いを思い出す。
 微かに顔が赤くなるのを感じた。


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これ結構前から書いてたよね?私の誕生日にくれました。有り難う!
結局艶さんに振り回されるたきゅ…過去に振り回されるたきゅ…
倖せにはなれないタイプなんだろうねぇ。
飄々とした艶さんのキャラが素敵です。

<のち>

2001.07


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