ナイフ


ほそい首に手をかけて。
そのまま力を込めてゆけば、愛しいいとしいこの人を、
もうひとつの世界に連れて行ける。
そうしたら自分の首にも縄をかけて、同じところへ行こう。

そう決意してきたはずなのに、首にかけようとした手の震えが止まらない。
真の穏やかな寝顔、健康的な寝息、紅い髪、白い頬、ほそい首。
見つめてしまうと、それだけで何も出来なくなる。
早くしないと真が目覚めてしまうのに。


焦るのは気持ちばかりで、極度の緊張で冷え切った指先は、
まるで自分のものではないみたい。
進めようにも引き戻そうにも、それすら侭ならないくらいに硬直してしまっている――
そんな状態のまま、どれくらい経っただろうか。
ふいに真の口唇が動いた。

「…直さん」
「ぇ…」

名前を呼んで、ゆっくりと目を開ける。
意外なほどにやさしい視線が、まっすぐに直を捕らえた。

「あ…起こした…?」
「…ううん、起きてた。ずっと」
身を起こして、真は微笑う。
「直さんが、何時まで経っても殺してくれないから。じれったくなった」
「…怖くないの?」
「何が?」
「俺、真を殺そうとしてたのに」
「ん。知ってたよ」
そう答えて、真は直を抱き締めた。
真の細い腕の中にでも、たやすく収まる直の体。
その体が僅かに震えているのを、痛切なほどいとおしく思う。


…直はたぶん自分を殺して、そして後から追って死のうとするだろう――
そんな事に気付いたのは、つい最近だった。
直の自分を見つめる視線。
何か思いつめているのが一目でわかるのに、こちらから視線を合わせると、
すぐに逸らされてしまう。
その割にはいつも傍に居たがって、二人きりになると、
めずらしく自分からキスをせがんだり。

「直さん、一緒に死のうか」
ちょっと試してみるだけのつもりでそう聞くと、
聞いた方が後悔するほど表情を強張らせたのも、つい数日前のこと。
そんな直を見ていて、真は、自分が不思議なくらいに
穏やかな事にもまた気付いていた。

もしかしたら初めから――
直を初めて抱き締めた時から、そうなる覚悟は出来ていたのかもしれない。
どんな方向に転ぶにしろ、直の決断を受け容れる覚悟が。


「…結構前から、気付いてた」
「俺が…真を殺そうとしてた、って言う事…?」
「殺すって言うか…直さんと一緒になら、死んでも良いかなって」
「そう…」

あっさりと言った真に、直はようやく薄い笑みを零す。
真のこういう、不思議に落ち付いたところが好きだ。
本来ならこんなに冷静ではいられないだろうに。

「直さんだって、ちゃんと理由があって決めたんでしょ?」
「…うん。理由、」

理由、と言えるのかどうかはわからない。
理由と言うよりは欲望かも?
或いは、一種の挫折や逃避かもしれない。
この世界で倖せを掴む事をあきらめ、逃げ出したい。
次の世界であらためて、ふたりで倖せを探したい。
そんなこの思いは、

「…でも、エゴかもしれないよ」


――ここ数年で、本当に目まぐるしく、直を取り巻く状況は変わって行った。
La'Muleへの加入から、全ては始まる。
音源作り、ライブ、イベント、人間関係。
信頼と愛情の反面に潜む、葛藤と痛み悲しみと。
そしてその中で何時も傍に居て、直の支えとなっている人。

…………真。

真への愛、真からの愛、真との愛。
受け容れられない、許されない、閉鎖的な二人だけの世界。
誰にも言えない、保証も出来ない倖せが痛かった。
何時常識に負けるか分からない。何時世論にさらされるか分からない。
愛すること、愛されることの倖せを知る一方で、募る不安もはかりしれなくて。
…だから、真を連れて、此の世界から逃げてしまおうと思った。
誰に憚ることなく倖せになれる世界を求めて。
次が駄目なら、またその次の世界で。
それでも駄目なら、もう一度生まれ変わって。
だって、真を愛してるから。

――でも、その愛だって押し付けに過ぎないかもしれない。
自分だけの、醜いエゴイズム。

「…俺の、エゴかもしれない。それで真を殺そうとしてたのかもしれないよ」
繰り返して言う。
それでも、真はやさしく笑った。
「それで良いよ」
頷いて、ね、と同意を求めるように。

「好きなようにすれば良いよ、直さん。この人生が全てっていうわけでもないと思うよ」
「本当にそう思う? 次には、出逢えないかもしれないのに?」
「だって…出逢って、ふたりで倖せになるために死ぬんだよ」
「…うん」
……うん。
そうだよね。
そう。
自分が決めたことだったはずなのに、結局、真に説得なんかされてしまって。
そういうところは、やっぱりいつまでも変わらないんだね。

「そうだよね…」
ややあってから直は頷いた。
そんな直の髪を指で梳きながら、真は続ける。
「直さんと一緒に逝けるなら、俺が反対することなんか何ひとつないよ」
崩れることの無い穏やかな笑顔に、自然と涙があふれた。
真の言葉に、迷いは無い。
だから、直の心の迷いも取り去ってくれる。
「…一緒に、逝こう」
 


+++++



悩んだ末、ふたりで決めて、ナイフを持ち出してきた。
ふたりの血が混ざり合えば、ふたつの魂も融け合って、
次の世界まで一緒に行けるような気がしたから。
それなのに真は、ナイフを置いて、直の目を見つめてくる。

「…直さん、知ってる?」
「何?」
「手首を切って死ぬのって、大変なんだって。
中途半端な切り方じゃ死ねないし、思いっきり切っても、結構時間かかるって。
すごく痛くて、すごく苦しいよ」
そんな事を言って。
「それでも、一緒に死ねる?」
…きっとそれは、直への意思確認。
もしかしたら、さっき直が真に確かめた分だけ、真も不安なのかもしれない。
死への恐怖や不安ではなくて、互いへの配慮にも似た不安。
本当に、この世界を棄ててしまって後悔しないかと。
メンバー、親兄弟、友人、音楽――そんなものを全てと引き換えに、
たったひとりの人間を選んでも、本当に後悔しないのかと。
一緒に死んであたらしい倖せを探そう、と言うのが、自分だけのエゴだったら?
――そう考えるとキリが無い。

でも、相手の気持ちを疑っているわけではないのだ。
相手が大切だからこそ、最後まで棄てられない疑いもある。
それが痛いほどに分かるから、直は、真の眼を見つめて頷いた。
答える言葉は、ひとつしかない。
「…真と一緒なら」


直の答えが、ふたりの決意をつないだ。
最後まで残った疑いを取り外し、その思いを揺るぎ無いものとする。
「手…出して」
向かい合って、お互いの左手を差し出した。
ちょうど手首が並ぶように。
そうして、その上にそっと刃を当てる。
思いきって引こうとして――それでも一瞬だけ、ためらってしまった。
どうして良いか分からずに、反射的に真の眼を見る。
「…切って」
そう告げる、やさしいその表情。
ナイフを握り締めたまま動けない直を、穏やかな声で急かして。
「真…」
「ん…どうかした?」

真、
好きだよ。
愛してる。
ありがとう。
ごめんね。
好きだよ、誰よりも
ずっと…

「…何でもない」

言おうと思ったことはたくさんあったけれど、結局、直は微笑んで口を閉ざした。
代わりに、目を閉じてそっと口付ける。
口唇の、やわらかい、あたたかい感触。
この感触が何より好きだったことも、きっと真にはとっくに悟られているんだろう――
そんな事を思いながら、口付けたまま、
直はナイフを引いた。



+++++



つないだ指先は、混ざり合った二人の血で結ばれる。
切り裂いた手首は酷く痛み、失血のせいで吐き気がする。
握り合った指先も痺れて、最早互いの感触すら確かめられないのに、
何故か怖くない。後悔もなかった。
そのまま二人並んで身を横たえて、どれくらい経っただろう?
ふいに真が口を開く。
「…紺さん、怒るかな」
「うん…たぶん」
「そうしたら、威介くんとか遊哉くんはどうするんだろうね」
「ああ…きっと…」


紺ちゃん、そんな怒らなくても――そう言って、宥めるんじゃない?


口に出したつもりだったのに、声が掠れて音にはならなかった。
それでも真には伝わったのか、寄せ合った体が僅かに揺れて、笑ったのが分かる。

そうだね。

意識の何処かで、そんな返事を聞いた気がした。
それを最後に途絶える、此の世の意識。





ねえ、真、痛い?

…痛いよ。

…良かった。

良かった?

うん。
痛いのが俺だけじゃなくて、良かった。
痛いのが、真だけじゃなくて良かった。

ああ…そうだね。
痛いね。


愛する人と、同じ痛みを共有するよろこび。
これで、ふたりが夢見る倖せを手に入れられるなら、それ以上には何も望まないから。
この痛みはよろこび。この痛みは倖せ。


「痛いね…」





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「華代ちゃんとネタかぶってる、ごめん、でも書きたかったんだー」
by 雪緒だそうです。(笑)
この話はわたし的に「…紺さん、怒るかな」の辺りがすごい好きなんですね。
雪緒ちゃん的にもそこがポイントなんだって。
これから死ぬってカンジじゃなくすることで、死してこれから一緒になるということを
表現したかったんだそうな。うーん深いね。
「痛いね」の解釈も色々あると思うんですけど、私はこれでいいと思います。
シンナオよ、永遠に2人で幸せにね・・・

2000.8.6


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