ナイフ-2-


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繰り返し くりかえし
何度もナイフを突き立てたのに

それはもうおぞましい光景だったはずなのに

お前は最期まで
俺に差し伸べた手を引こうとはしなかった。

「紺ちゃん」

吐気のするような血臭の中、
俺の名前を呼ぶ。
血の海に浸かって。

「何で…」

何か言いかけて、途中で言葉が途切れる。
何でこんなことを、と問いたかったんだろう。

何故俺はお前の手を振り払って、
血の海に倒れる道を選んだのだと。



――だって、
気が狂うくらい、
他のものがどうでも良くなるくらい、
どうしても欲しかったもの、
どうしても繋ぎとめておきたかったものが、

どうしても手に入らないから。
どうしても取り戻せないから。

俺を抱いてくれた腕や、髪を撫でてくれた手や、
唇も、眼も、眼差しや声さえも、
呆気無く失くしてしまったから。
それが奪い取られたのか、
それとも自ら去って行ったのか、
そんなことはもう分からないし、
分かったところで大した事じゃない。

残ったのは、嫉妬と、絶望と、恨みと、
数え切れないほどの後悔。
何が悪かった?
何が気に入らなかった?
すべてかれの言う通りに、
かれの気に入るように、
自分さえ押し殺して、
時には他人の犠牲すら構わずに、
ここまで来たのに。

何もかもに自信の無い俺を支えてくれたのは、
それだけだったから。

この痛みが何時か去るものだとしても、
それまで耐えて行くのが辛くて辛くて辛くて。

お前が俺を愛して、ずっと傍に寄り添ってくれていたのも知っていた。
でも、お前は「かれ」じゃない。
お前は俺を倖せには出来ないし、俺もお前を倖せには出来ないだろう。
もしその愛を受け入れても、そうすることで何時かまたこうして傷つくのなら、
いっそこの躯を棄てた方がマシだと。

何も考えたくなかった。
何も見たくなかった。
この痛みから逃げられるのなら、何でも良かった。

だから俺は、ナイフを自分の胸に突き立てる。
繰り返しくりかえし、何度も。
お前が俺を見つけて、この胸から噴き出す血に塗れながら、
その手を差し伸べてくれても。

「近寄るな」
俺がナイフを向けても、お前は臆せずに手を伸ばしてきた。
硬直した俺の指をひとつずつ解いてナイフを取り上げ、
力の抜けた俺の体を抱き締める。

「俺は、本当に何もしてあげられなかったんだね」

泣きながら、そんなことを呟いて。
この結末は威介のせいじゃないのに、
「俺を救えなかった自分の無力さ」を呪って、
威介は泣く。

――そのとき、初めて痛みを感じた。
この鋭利なナイフが皮膚を突き破り、神経を切断し、肉を抉って、
そこから止めど無い量の血が噴き出しても感じなかった痛み。
それは、体のもっと奥の方から込み上げてくる。
痛みと言うよりは苦しみ。息苦しさ。

…威介が、そんなにも俺を想ってくれていることが、
こんなに痛いなんて。

「…いす、け?」
「喋らないで」

声を絞り出すたび、喉の奥から血が迸る。
俺が吐いた血を頬に浴びて、それでも威介は俺を抱き締めたまま、
ゆっくりと首を振った。

「痛い…?」

静かな声で問われて、俺は曖昧に頷く。
それからすぐに思い直して、痛くない、と答えた。
それは声にはなっていなかったけれど、
口の動きだけ威介は分かってくれたらしい。
俺の顔を覗き込んで、心配そうに表情を歪ませる。

「…紺ちゃん、すごく辛そうな顔してる。悲しい、の?」

――悲しい?

…ああ、
悲しいのかも、しれない。
これほど想ってくれた威介を、泣かせているのが。
威介の優しさを信じれば良かったのに、こんな道を選んだ自分が。

何故ひとは、過ぎてしまうまで、
物事の本質に気付かないのだろう。
何故ひとの感情は、時として、
間違った選択を絶対のものだと思い込ませるのだろう。

「…本当、は…、死にたくない」
「うん。分かってるよ」

無意識のうちに洩れた言葉に、威介はやさしく頷いた。
俺の浅はかな願いが不可能な事なんてお互いに分かってる。
二人の体を染め上げるほどに流れた血液は、
どう足掻いても補充しきれないだろう。
体中が痺れたような感覚の中、意識して眼を開けていないと、
今すぐにでも意識が千切れそうなのが分かる。
血に濡れた俺の髪を梳きながら、威介はしばらく黙っていた。
そうして、ぽつりと言う。

「…紺ちゃんのこと、独りにはしたくないよ。
俺も一緒に死ぬよって言ったら、もう悲しくない?
今度は、俺のこと見てくれる?」



――駄目だと言えと、僅かに残った理性は警告していた。
そうしたら倖せになれるとでも思っているのかと。

けれど、感情とは愚かしいもので、
俺にまた誤った選択肢を選ばせる。




最後に見たのは、威介が俺の手から奪ったナイフで自身の首を貫く姿。
既にぼんやりとした輪郭しか認識できなくなった視界の中に、
威介が微笑うのが見えた気がした。

体に回される威介の腕と、生温かい彼の血の温度。
それすら曖昧で、最早痛みすら感じなくなったこの体のどこからか、
心の張り裂けそうな「痛み」が生まれていくつもいくつも弾けていく。
体の痛みさえ遠く届かない、この痛みは、
間違いを犯した俺への最後の罰なのだろうか。






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のちの「ナイフ」を見て生み出したモノ。
のっちんが気に入ってくれたようなので、
日の目を見れることになりました。
良かったな、ナイフ。(アンタ誰)

シンナオの「ナイフ」は精神的に倖せっぽい心中だったけど、
こっちはあんまり倖せじゃ無さそう。
でも本人達が倖せでも倖せじゃなくても、
生命の摂理に逆らって死ぬことに変わりない以上、
心中ってやっぱり本当はイケてないんだろうな。

卒業式の日、担任が最後にクラスに残したメッセージが、
「自分からは死なないで下さい、
年功序列で死ぬのが一番平和で悲しみも少ないから」
だったんですよ。これはかなり要約した言い方だけど。

わたし自身、心中とか自殺とかが美談だとは思ってないんですよ。
でも、その人にとってもうそれしかないなら仕方ないかな、と。
自分にその人の環境を変えてあげる力が無いなら、
止める権利なんて無いのかもしれない。
でも好きだから死んで欲しくないんだよ…。
たかが「好き」、されど「好き」。

いっさま、紺ちゃんを宜しくね。(何)



(2001.0319 雪緒)



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