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[MASK=3=]


――気付いた時には、真っ白な部屋にいた。
天井と、壁と、窓を遮るカーテン。シーツも布団も、着せられた服も。
見えるもの全てが白い。白で統一されている。
不自然なはずのその光景に、何故か安堵を覚えた。
起き上がろうとして、自分の体からいくつものコードが伸びているのに気付く。
視線を巡らすと、ベッドサイドに置かれた機械とつながっているのが分かった。
京のバイオリズムや脳波なんかを記録しているようだ。

(……何…)

無理矢理身を起こそうとすると、体の関節が軋む。
いつから寝たきりになっていたのだろう。
その前に、ここは何処だろう。何故こんな所にいるのだろう?
見た感じと、うすい消毒液の匂いから、病院であるだろうことは見当がつく。
けれど、そんな所に収容された覚えはない。

「痛ったぁ…」
何とか上半身を起こすと、ひどい頭痛がした。
とても置きられそうにない。諦めて周囲を見回すことに専念する。
結構広いように見えるが、個室なのか、他に人の気配はない。
モニターの稼動音が聞こえるのみで、怖いくらいに静かだ。
空調も整っているし、隅々まで掃除が行き届いているあたりから、
かなり整備された環境なのだということが分かる。
「やっぱり、病院…」
ナースコールらしきボタンを見つけて呟く。
ちょっと迷ってから手を伸ばし、押そうとする――そのほんの一瞬前。
ドアの外に響く足音に気付いて、京は手を止めた。
ゆっくりと近づいてきた足音は部屋のすぐ前で止まり、ドアにかけられた鍵を開く音が続く。
そうして、部屋に入ってきた人物の、鮮やかな紅い髪が見えた。

「――京くん?」
「ハイ…」
覗き込まれて、確かめるように名前を呼ばれる。
京が頷くと、彼はほっとしたように笑った。
ぎこちなさのない、行き過ぎでもない、やわらかくて暖かい笑顔だ。
「良かったなー、意識もどって。もう大丈夫やからな」
大きな手で頭を撫でて、布団を直してくれる。
白衣と、その胸についたカードから、彼が医者なのだろうということが分かった。
「…あんた…名前は…?」
「俺? 俺はダイって言って、この病院の検査技師や。京くんの担当なんで、これからよろしくな」
掠れた声で問うと、彼はそう答える。
何だか安堵感を与えてくれるダイに、京は少しだけ微笑んだ。
「よろしく…」


×××


それから、京の意識が完全に醒めるのを待って、ダイは色々なことを話してくれた。
京は、急性の麻薬中毒でこの病院に収容されたのだということ。
昏睡状態になっていたところにバイト先の友達が来合わせ、病院に連絡してくれたのだということ。
その友達やバイト先には、命に別状はないが、しばらくの入院を要するとだけ伝えておいてくれたそうだ。
そんな話を聞いた京がふとこう問うと、ダイは表情を曇らせた。
「この病院、何ていう病院?」
「ここ――は…」
答えにくそうに口ごもる。
…そういえば、ダイの胸につけられた医師免許には、顔写真と名前、有効期限しか記されていない。
通常記されているはずの病院名や担当病棟は一切記されていないのだ。
「…何でそんな深刻な顔するん? そんな言いにくい所なんかぁ?」
自分の嫌な疑念を払うつもりで、冗談のつもりでそう言ったのに、ダイの表情は晴れない。
そしてややあってから、彼は口を開いた。
「ここは、警察付属の特殊病院や。公表しにくい病気の奴や、新種の薬物中毒者を収容してて…
京くんは、そのサンプルとして収容された」
「サンプル…?」
「――MASK…とか呼ばれとったらしいな。あれが、まだごく一部でしか出回ってない新種のヤクだったって
いうのは知っとる?」
「…何となく。めっちゃ高かったもん」
曖昧に頷くと、ダイは苦笑する。
けれどそんな表情は一瞬で消え去って、すぐに真剣な目に戻ってしまう。
「…今回の事で、警察の方が、MASKの成分やら効果やらを調べ出してな。
それで、その参考のために、京くんの脳波やバイオリズム、心理状態なんかを検査させてもらう――それが俺の仕事や」
「……そうなんや」
ようやく状況が飲み込めてきて、京はそれだけを言って頷いた。
思っていた以上に、面倒なことになっているようだ。
警察沙汰になってしまった以上、麻薬に手を出したのがただで済むことはありえないだろう。
かと言って、警察がMASKのことをどれだけ究明しても、京にその情報を提供してくれるわけもない。

(…トシヤ…)
トシヤの気持ちを分かろうとして――たとえそれが建前でも、そう思ってMASKに手を出したはずだったのに、
次第に遠ざかっていっているような気がしてならない。
悔しい。
…いや、悔しいというよりは歯痒い。
「なぁ。気持ちは分かるけど、そんな顔するなや」
「え?」
「今、めっちゃ嫌そうな顔しとったで?」
「…そんなこと、あらへんよ」
京の内心を見越したような言葉に、ぎこちない笑顔を作って答える。
そんな京に、ダイは優しく笑いかけた。
「何も、無理矢理やるようなことはせえへんよ。京くんが嫌やったら嫌って言うてくれれば、俺らもそれ以上は強要せん。
できる範囲で協力してくれればええんや」
「……うん」
言い聞かせるような口調を聞いて、京は頷く。
ここで抵抗したところで、仕方ない。
そんな諦めがなかったと言えば嘘になる。
けれど、何故かダイには協力的でありたかった。
何がそう思わせるのか、それは自分でも分からない。
ただ、歯痒さの反面で、自分の心の中に不思議な平静を感じる。
目に映るもの全てが澄んだように見えて、穏やかな気持ちで接する事ができそうな、異様な感覚。
それが、MASKの“毒”のほんの初期症状に過ぎないという事を、京は知らなかった。


×××



それから、京は何事に対しても従順だった。
どんな検査もおとなしく受け、落ち着いた様子で毎日を過ごしている。
とりわけダイには心を許しているようで、時間のある時に庭や屋上に連れ出してやれば、
子供のように屈託のない笑顔さえ見せてくれる。
庭に咲いた花や、24階の屋上から見渡せる風景を見ては、綺麗だと言って喜ぶ。
食事もきちんと取るし、我侭も言い出すようになった。
「あ、ダイくんや」
ダイが部屋を訪れる度に、ぱっと表情を輝かせて。
「なーなー、欲しいものがあんねん」
そんなふうにねだられてしまうと、何でも許してやろうという気になってしまう。
「何が欲しいん?」
「えっとな、白いノート」
「…白いノート?」
「うん。外側が白いやつが欲しい」
そう言って京は、一冊のノートを取り上げた。
日記をつけさせるために以前ダイが渡したもので、ごく普通のキャンパスノート。
その時は色は何でもいい、みたいに言っていたような覚えがある。
けれど最近、京は“白”にこだわり始めた。
服や文房具。時計。
ただでさえ白で統一された病院の中、限られた生活用具までも白に徹底しようとしている。
「…京くん、最近、白好きやろ」
「そうかなぁ?」
「白いもん集めてへん?」
「んー」
他の色の侵入を許さなくなった病室を見回して、ダイは問うた。
と、京は口を噤んで首を傾げる。
そうしてややあってから、ふっと微笑んだ。
思わず目を奪われるほどに、穏やかで愛らしい笑顔。
「…だって、綺麗やん」
「まあな」
「トシヤも白が好きやって…何か、トシヤの気持ちが分かったような気がするんや」
「…そうか」
京の言葉に頷いて――同時にダイは、言いようのない不安を覚える。
トシヤのことは、今までに何度も聞いていた。
今は手の届かないところにいる彼を、京は、まるですぐ傍にいるかのように話す。
優しくて、綺麗で、仲の良かった自慢の兄弟だと。
だから、彼がMASKで死んだ時は本当に辛かったと言った。
その時の様子を問うと、表情を一変させ、溢れそうになる涙を堪えながら話してくれて、…その時、確かに京はこう言った。
『青が好きだったのに、いきなり白いもんばっか集めだして…それから、そんなに経たない内に』
それまでの嗜好と関係なく、白にこだわる。
トシヤと共通した症状だ。

「…じゃあ、ノートは明日買うてきとくわ。また後でな」
「もう行っちゃうん?」
「ちょっとやらなあかんことがあるんや。ごめんなー」
「ならしゃあないな。頑張りや」
少し残念そうな顔をした京に、手を合わせて謝る。
素直に手を振った京の頭を軽く叩いて、ダイは病室を後にした。その足で研究室に向かう。
…もし、白が好きになるというのがMASKの中毒患者に共通する症状ならば、
京に残された時間は後僅かしかないのかもしれない。
彼を助けてやりたい。
医師としてだけではなく、一人の男として、京を助けてやりたい。
「…絶対に、死なせへん」
呟いた言葉は、冷たいほどに白い壁に反響した。

 

<to be continued>





―――――――――――――――――――――――――

原作:Hikaru.M&雪緒、書いた人:雪緒

京はどうなってしまうの?!京はなぜ白いものが異様に好きなのか・・・。続きをどうぞ。 【のち】

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